BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2021年07月02日(金)掲載

“サッカー人として”
2021年07月02日(金)掲載

落選の意味は変えられる

 サッカー選手には毎週、ベンチ入り18人という名の選考が待っている。ゴールを挙げていたはずが外され、自分では軸だと思っていたのにそうでなく、選ぶ側のみぞ知る基準でふるい落とされるときもある。会社員だって、プレゼンや昇進の機会でメンバー選考をされるようなものだよね。


 選考が相乗効果を生み出す組織は強い。でもメンバーがしょっちゅう変わるチームが強いかといえば、どうだろう。同じ人が選ばれる方が強さも安定するという考えもあるだろうし。


 総勢30人だとしても、30人全員が均等にローテーションされるわけではないのがチームの実情じゃないかな。おおよそ「幹」は決まっていて、交代出場の選手が「枝」として加えられ、ときにはムードメーカー枠、あるいはベテランの存在感や若手の勢いが付け足され、組み立てられていく。


 人数枠が多ければいいというものでもなくてね。代表クラスともなるとエゴが強く、出番なしでは承服しない。選んでも抱えておくだけではあつれきを招き、マイナスにも働きかねない。


 ときには自分の力の及ばぬところで選考は動いていく。監督との相性、好不調のタイミング、運。だけど最終的には、それらも自分の実力だと思って僕はやってきた。どんな人からも選ばれる選手がいる。30年前であれば誰が監督であっても僕を日本代表に選んでいたかもしれない。そうでなくなったのなら、僕の実力が落ちたということ。「選ばれたい」と思うより、迷わず選ばれる対象になるくらいでないと。


 東京五輪が迫り、様々な競技で選考に道を阻まれる選手がいることだろう。4年に1度、あるいは最後のチャンスかもしれない舞台から脱落することは、つらい。でも、落選からが人生は山場なんじゃないのかな。


 選考に人生を左右されたと感じて投げ出してしまうのなら、結局、自分で人生を棒に振ることになる。そうでなく、諦めず、ちゃんと人生を組み立てていく。きつい作業だけれど、はい上がれるか。


 敗れた。老いた。別れた。そこからなんだ、勝負どころは。過去に起こったことは変えられない。だけど起こった事の意味なら変えられる。負でしかない出来事も、頑張りようでその意味を、ダイヤモンドのように光らせることができる。