©Hattrick
「日本代表のFWはどれだけリーグ戦で活躍していても、代表で結果を出せないなら、その活躍はないのと同じなんです」。代表戦で解説する元代表FWの言葉に、かつてのプレッシャーがよみがえる気がした。
チャンスは10分、数回。仮にそうでも、手ぶらで帰るのでは生き残れない。1試合で最低でも1得点というノルマが未達成なら、勝敗とは関係なく敗北感が募った。代表という場にしかない重み、厳しさ、誇り。
それを「こういうものだよ」と口頭で伝えることはできるし、経験談は役に立つ。でもそれ以上に歴戦の代表選手の態度、行動、出場できない状況でもどう振る舞うか、一つ一つに触れること自体がためになる。存在そのものがお手本なんだ。
今なら長友佑都選手や吉田麻也選手がそう。その長友選手は若い頃には中澤佑二さんらから学んだだろうし、中澤さんもまた前の世代から、というように「代表たるもの」は引き継がれていく。先におられた選手からの有形無形のバトンが、どれだけ大きなことか。今になって僕にも分かる。
代表に入りたてのころの僕は怖い物知らずの生意気盛り、さぞ煙たかっただろう。その出過ぎた部分を柱谷哲二さんらがうまく取り持ってくれた。ときに長谷部誠選手、ときに宮本恒靖さん。とがったエゴ同士のバランスをとれる人が時代ごとでいるのも代表の伝統かも。
物事を切り開く人間はどちらかというと自然発生的で、意図してつくられるものではないと思う。それでもブラジルであれば、ネイマールにはペレの、あるいはガリンシャやリベリーノといった先代のDNAが、時代に応じた形で受け継がれている。
日本も同じ。「先代より少しでもいいものを」という志のもと、冬の時代も乗り越え、協会や代表内で40年にわたってDNAがリレーされている。大きな財産だよ。
僕はサントス時代にそばにいたドゥンガをお手本にプロ魂とはなんぞや、を吸収したから、言うべき意見は抑えていられない。チーム内で意見がぶつかり合うことは、最近は奨励されるみたい。
だけど「いつでも何でも言ってくれ」と言われたから意見をすると、みるみる機嫌が悪くなる監督も多いらしいね。これ、ほしいのは意見ではなく同意で、「その通りです」を待っているだけなのでは。先輩方の時代もこうだったのかね?