BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2020年12月04日(金)掲載

“サッカー人として”
2020年12月04日(金)掲載

どんなときでもマラドーナ

 1979年に日本で開かれたワールドユースから始まって40年近く、いつでもマラドーナが、サッカー界の中心にいた気がする。


 5人抜きの1986年ワールドカップ(W杯)はもちろん、退場になった1982年W杯も、1990年W杯も、ドーピングで大会を去った1994年W杯も、監督だった2010年W杯だってマラドーナの大会だったように思えてくる。何をしてもインパクトを残さずにおかない。


 彼が楽しくなさそうにサッカーをしている姿を見たことがないし、想像がつかない。何かの映像で、観客もいない遊び半分の草サッカーに興じているのを見たことがある。それがあたかもW杯決勝かのようにプレーしていた。ドリブルして、相手を抜いて、ゴールして、世界一になったみたいに喜んで。


 偉大な選手ともなると、得てして日本に来ても「ピッチが悪い」「疲れる」などと何も披露してくれない人もいる。マラドーナは出し惜しみなしだ。楽しさと喜びをどこでも表現してしまう。いつでも、どんなときでも「マラドーナ」。その熱に浮かされるようにみんな引き寄せられてしまう。


 マラドーナがブラジル代表のユニホームを着てブラジル国歌を歌っている。ハッ、と目覚めて「悪夢だ」とぼやく。某CMでのこのパロディ、彼だから傑作なまでにユーモラスなんだ。


 「ペレとマラドーナ、どっちがナンバーワンだ?」。かつてマイク・タイソンの自宅を訪ねたときに尋ねられた。答えにくそうにしている僕へ、彼はほほ笑んだ。「マラドーナって、クレイジーだろ?」。同志は最高だろ、といった響きがあった。


 アルゼンチンで国際試合があると、マラドーナのシューズを磨くペレの絵がスタンドに掲げられる。これがブラジルだとペレの膝元でマラドーナが磨き役となる絵柄になる。あの2人のあがめられ方は格が違う。そのマラドーナのいるアルゼンチンと1994年5月のキリンカップで戦えたはずが、入国が許可されず幻となったことが、いまだに心残り。


 暴力撲滅を呼びかけるイベントで、取り囲む記者に怒って鉄拳を振るってしまう。数々のトラブルやバッシングは自分で招いていたといえなくもない。いいか悪いかでいえば悪いに決まっていて、周囲にしてみれば手がかかるし、やっかい。そのはずが、いなくなると寂しい。憎みきれない。そんな人、いますよね?


 少年のような純真さを彼は持ち続けた。いなくなっても、僕らの心のなかでその存在が生き続けている。