©Hattrick
30年前であったら、日本代表でトップに立つくらいでなければ海外移籍などは視野に入ってこなかった。10代で海外を目指す、なんて発想は持ちにくかった。
横浜FCの19歳、斉藤光毅選手が来季からベルギー2部に移籍する。いつか欧州チャンピオンズ・リーグといった舞台でプレーするため、日本から出ていく。目標値の設定が、昔と彼らの世代とではだいぶ違う。
J1に比べてベルギー2部ってレベルはどうなの、と不審がる人もいるだろう。でもヨーロッパ人の目線からすると、4大リーグではなくても欧州内でブレイクするなり実績を残すなりする方が、Jリーグで何年か活躍するよりも目にはとどまりやすい。ステップアップもしやすいかもね。
いいプレーとされるものがこちらとあちらでは変わってくる。武器は技術だと自認する選手が、走る量で貢献するタイプだと評価されることも。外国人として扱われる体験をして初めて気づくこともある。日本にいた頃の感覚を持ち込んではダメ。あらゆる面でヨーロッパに溶け込むことだ。
経験を積んでいけば、「日本から来たやつだ」という偏見も「こいつはヨーロッパに慣れている」という前向きな見られ方に変わっていく。壁が薄れる。そうやって段階を踏む方が、本人もクラブ側も移籍という変化を受け入れやすいんじゃないかな。とんとん拍子で階段を上がれるのはレアケースと思うほうがいい。
可能な限りレベルの高い環境に自分を置きたい。この意欲が僕らの出発点。だから居心地のいい場所よりも、批判にさらされ生き残るのも難しい荒れ地へあえて踏み出す。僕が15歳で静岡を飛び出したのは純粋にプロになりたい一心から。イタリア・セリエAに飛び込んだときは、「コンフォートゾーン」の外で何かをつかんで日本代表へ還元したい思いが強かったね。
「使われているだけの選手じゃだめだぞ。みんなを操れるくらいになれ」。はなむけの言葉を光毅には贈った。周りが「頼む」とパスを託してくるような存在。ヴィッセル神戸のイニエスタがそうだし、代表でゴールを重ねていた頃の僕もそうだった。
チームの枝で満足するな。幹になれ。グラウンド上のボスになり、ボスたる責任を背負える強さと覚悟を身につけるんだ。でなければ、望む高みへは近づけない。外国人として挑まんとする若人たちへ、BOA SORTE(幸運あれ)!