BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2019年09月13日(金)掲載

“サッカー人として”
2019年09月13日(金)掲載

僕らは「いま」に懸ける

 20数年前は欧州と日本のサッカーカレンダーがそろってなくて、日本代表に招集される間もイタリアではリーグ戦が進んでいた。2週間ほどチームを離れて戻ってみると、自分の序列が変わっている。置いていかれる感覚は強かった。


 それでも僕にとって代表はケガを隠してでも行くべき場所だった。障害があったとしても、もまれることで選手は大きくもなれる。


 欧州組に負担を強いて招集しなくても、別の選手を試す機会にすればいいのではとの声もある。でも僕ら選手は、誰かではなく自分がずっと出ていたいんだ。仮に久保建英選手に、クラブでの定位置確保を優先させたとして、その間に「もう1人の久保建英」が現れたら?


 出てこないなんて限らない。すると代表で出番を失いかねないよ。スターや名監督でも、誰だって取って代わられうる。この世界、自分の代わりなんて世界中にいくらでもいるのだから。僕のすぐ隣には僕の座を狙う次のカズがいる。だから、僕らがしがみつくとしたら、「いま」なんだ。


 サントスのジュニアにいたころ、たまたまトップチームと紅白戦をさせてもらった。その名も無き試合で僕は活躍し「あのジャポネーゼにもっとやらせろ」と目を掛けてもらえた。目を向けられる可能性がある限り、意味を見いだせなさそうな試合、機会でも、どこであろうと全力でやった。いつも目の前のことに懸けてきたし、今もそう。


 レベルでは日本より高いとは限らない欧州の2部や3部チームに身を転じる意味を疑問視する人もいる。でも、助っ人として見なされ、評価されることのハードルは日本にいるときのそれとは全く違う。そしてチャンスにつながる「目」は、ヨーロッパにいる方が確実に触れる機会は広がる。


 この時代にメンタルの話を持ち出すと敬遠されるかもしれない。思考力や、技術論といったテーマほどにはスマートじゃない。でも、もろもろの悪条件を前に「ダメだ」とめげるのか、「またとない経験だ。やるぞ」「たいしたことない」と思えるのか、その違いは大きいよ。


 それにしても20代のころはなぜあんなに無理が利くんだろう。飲んだ後に走り、サウナも行って、翌朝の練習でも平気。へっちゃらだと疑いもしなかった。自分でも気付かぬくらいの体力とずぶとさ。今の代表のみんなも若いのだし、多少の悪条件など大丈夫です。