©Hattrick
ヤンキースに身を転じた辺りから、イチローさんの周りとの触れあい方は少しずつ変わっていった気がする。往時の「背中で見せる」というスタンスから、周囲に自分から関わっていくものへと。
周りをシャットアウトしてでも自分に集中したい時代が僕にはあった。試合前泊のホテルではカーテンをテープで貼り、隙間を埋めた。ホテルを出るまで光を入れない、昼も窓は開けない。あるのは静けさのみ。
今はもう、やらないね。暗いもの。でもそんな風に自分を研ぎ澄ませたいときがイチローさんにもあったと思う。記録と独りで戦う孤独感は強かったはずだ。
今の10代は僕をさほど特別な選手とは感じていないらしく、接し方がフランクでね。僕が日本サッカーの非常識を常識に変えてきたとしても、世代が離れているだけにリアルには分からない。例えば練習試合では遠慮なく僕の足を削ってくる。「カズさんに何するんだ!」と年配の同僚は怒るけど、僕は特別扱いされない方が好き。むしろ、蹴られたいくらい。
イチローさんに対しても、尊敬が強いだけに周りが遠慮してしまう面もあったのでは。それが程よい距離感に転じていったような。
僕の場合、遠ざけもした周りに支えられていると気付く時を迎えた。称賛や励みを素直に受け止められたというか。つまりは、衰えない人間はいないということなんだ。時の流れとともに成績は確実に落ちる。誰も逃れられない。でもその道すがらで気付くことの方が、大きいかもしれない。
去年5月から最後の日までやってきた営みが「どの記録より誇れる」とイチローさんは語った。選手登録を外れながらもイチローであり続ける戦いは、並大抵のことでなかっただろう。
僕も去年1年間、ベンチ入りし続けながらも先発できず、やっと今月23日、約2年ぶりに先発出場へたどり着けた。動きのない2年、と思われるかもしれない。でもその間、自分を保ち続けるのは簡単ではなかった。人間はいいときと悪いときで感情が揺れ動くのが常。そこで変わらないでいることが、どれだけ大変なことか。イチローさんにとってのこの1年も同じだったんじゃないだろうか。
あれから、イチローさんにしては長文のメールが届いた。心揺さぶられるその内容を明かすことはしない。胸の内で大事にしておきたくなるものだったから。