BOA SORTE KAZU

  • Home
  • Message
  • Profile
  • Status
  • Column
Menu

BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2019年03月01日(金)掲載

“サッカー人として”
2019年03月01日(金)掲載

時代の溝 関係ない

 ジェネレーションギャップというものが、どうも僕はピンとこなくて。


 キャンプで食卓につけば隣は17歳の斉藤光毅選手、その横には20代の大卒新人がいて、37歳の松井大輔選手もいる。そうやって席を囲んで話していても溝は感じない。「最近のサッカー選手はおとなしい」と耳にするけど、それは人によりけり。光毅などは17歳でも、意欲も情熱もガツガツさだってある。


 「世代が違う」「時代は変わった」というように、昔と比べて今を語る人がいる。むしろ僕は変わらないものがあるように思える。とある30代の選手が嘆く。「僕らの若いころはあんな態度、取れませんでしたよ」。いやいや、たぶん君たちも似たようなものだったよ。


 40年近くも前の学園ドラマ、「3年B組金八先生」を先日、見返していた。中学校でのトラブルをめぐり先生やPTA、警察が協議している。「今の若者の考えていることは我々には分からない」「突拍子もないことをされ、対応できません」。


 これ、平成が終わろうとする今の学校でも、ほぼ同じ議論が展開されていますよ。表面上の表れ方に時代の違いはあるにしても、語られている核心は世代を超え、こだまのように繰り返されて。


 もちろん52歳の僕は、今の10代とは違うことを経験してきた。それを語ると「昔はそうだったんですか」と驚かれ、面白がられる。それは例えば、こんな話。


 サッカー選手がチームを変えるとしばらくはプレーできない時代があった。日本サッカーリーグ時代の選手は会社員扱い。プロはプレーできず、チームを移れば一種の罰則を科せられた。


 そんなとき、ドイツ1部ブレーメンで活躍していた奥寺康彦さんが1986年に古河電工へ帰ってきた。現行ルールのままではプレーさせられない。そこで木村和司さんと奥寺さんを特別登録選手とし、プロとして存在を認めた。これが日本サッカーにおけるプロの夜明け。だからこそ僕もプロ選手のままで90年にブラジルから戻ってこられた。


 その90年の北京アジア大会直前。サッカー協会が中華料理店に選手を招いてごちそうしてくれた。その晴れの席で僕が言う。「ここで激励してくれなくていいですから、代表の報酬の話をしましょう」「1試合いくらですか。優勝したときのボーナスは?」。


 協会の方は困惑したようだった。「大学生もいるからお金は払えない」という。プロはいい技術をみせ、対価をいただく。芸術では認められていることも、スポーツ界で主張すれば「金にうるさい」と煙たがられた時代だったね。


 でも僕は堂々と報酬を求めた。好き放題に正論を言わせてもらいました。協会側は「なんだコイツは」と思ったはずだ。自分たちが発想すらしないことを言う、奇特な人種。「カズとかいう最近の選手は理解できない」と。ほら、今も昔も同じでしょう?


 代表戦の前日に美容師を呼んで髪を切ってもらった。遠征に私服を忍ばせ、最終日の夜は打ち上げへ繰り出した。僕がやり始めた“奇行”のいくつかは次の世代にも引き継がれたみたい。「代表のルール、カズさんが作っていませんか」とからかわれもする。


 たかだか30年や40年で、人間という生き物の本質が変わりはしないと思う。どの世代にも僕らと同じように悩みがあり、彼らなりに考えながら、楽しみ、プレーしていく。


 自分の時代がこうだからと、何かを押しつけるつもりはさらさらない。若い世代にこびを売るつもりもない。この人は、こういう人――。年齢でも世代でもなく、「その人そのもの」を僕はとらえるようにしてきた。それはこの先も変わらない。どんな世代が、僕らに続いて立ち現れるのだとしても。