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「ダメや。お前ら」。何年か前、ボール保持の練習で僕らベテラン勢と若手が監督の前に立たされ叱られた。ドスの利いた関西弁が飛ぶ。若手が指さされ「ミス、ミス、お前もミス……、ミスばっかりやないか!」。そして「一生懸命なのはおっさんばっかりや」。その褒め方もハラスメントすれすれと思うけど……。
どれほど熱を込めた指導でも、受け取る側がそう取らないこともある。ミーティングで監督が激しくゲキを飛ばしたある日。聞き終えた20代の選手が僕に言う。「何で1人でキレてるんですかね」。僕の世代の感覚だと、「キレた」程度まではいかない怒り方にみえたから、受け止め方の誤差はかくも大きいんだね。
昔なら荒っぽい叱り方も許されていた。子ども時代の僕が鉄拳を食らっても、親は「どんな悪いことしたの!」と言うだけ、「謝ってきなさい!」と逆に怒られもして。周りの子も「また知良が悪いことをしたんでしょ」と問題視すらしない。これ、僕だけかなあ。
そんな縦関係の支配する日本のスポーツ文化とは違うものを、僕は海外に求めた。ただし暴力はいけないとの大前提のうえで、体験でいえば厳しく叱ってもらって良かったと振り返られることもある。未熟さや過ちに気づかせてくれた、叱られて救われたという記憶があるのは僕だけでないだろう。
ブラジルでは暴力や体罰に頼る指導はない。ある意味、その必要性がない。なぜならダメなやつは切り捨てられるだけだから。ダメな人間を何とか引き上げ、叱ってでも矯正しようという教育的動機は薄い。学校教育としてではなく、プロの養成としてサッカーの指導がなされているから。ではそれだけでいいのか、と問われれば何ともいえない。
叱り方や指導法が難しいのは、答えがないからだね。いくらいい学校へ通わせ、いい教育を受けさせたつもりでも思った通りにならないこともあり、同じ教育を授けたはずが兄と弟で違った育ち方をすることも。
正解があるならそんな楽なものはない。子ども、あるいは選手を「こう叱れば、ぶれない」とマニュアルを語る人がいたら、「そんなことないでしょ」とちょっといぶかしい。手探りながらも自分の信じる叱り方・教育と向き合うしかなく、問われるのは信念なんだろうね。