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フラメンゴ時代のジーコが膝にタックルを受けて大ケガをしたことがある。相手監督が「膝を狙え」と故意の指示を出していた。大問題になり、その監督と選手は母国で二度と仕事はできなかったという。
潰せ、削るくらいでいけ。ブラジルだと「ゲヘーロ」、ポルトガル語で「戦う人」という言い回しがあるくらいで、「これはゲーハ(戦争)だ」といった例え方もよくされる。ただ僕は好まない。スポーツが人生を賭ける戦いだとしても、戦争と同列にするのは意味を取り違えていると思う。
「言うことを聞かなかったら、二度と使わないぞ」。サッカー界でも耳にしてきた言葉だ。日本だけのことじゃない。こうでない監督の方が少ない気がする。
でもブラジルだと選手も黙っていない。僕も監督に言い返し、口論し、刃向かってもきた。監督と選手は五分だと思ってきた。理不尽な要求をする監督、上級生が下級生に説教をたれる上下関係。少年時代はそんなものがまかり通ることに納得ができず、外でプロの世界に身を置きたかった。
「うちの会社は体育会系で」と用いられるほど、大学の運動部文化はなじみの深いものかもしれない。でも「おい、お茶を持ってこい」と言われてお茶を持っていくのが本当の体育会系なのかな。デスクや仕事場に就いたなら、お茶を運ぶも何も、実力がすべて。その方がスポーツらしいよ。
練習は理不尽、監督の権限は強大、全員が命令を100%聞き入れる。悩ましいのは、そんな組織もある程度強くなるということ。規律は高まるから、高校レベルだとそれで勝ちもするし、先輩・後輩の縦関係が薄れて“緩く”なったチームが弱くなって、全国大会出場を逃したといった逸話もある。
でもそのやり方でJ3からJ2、J2からJ1へと上がっていくことはできても、J1優勝となると難しいんだ。トップの世界では「うまい人」が一番偉い。それだけすごく、無視できないから。ネイマールが18歳の頃、指示を無視してPKを勝手に蹴ってしまった。監督は怒り、しつけがなっていない、などともめた。クビになったのは監督だった。
親になってみると、息子がもう少し厳しい上下関係から学んでほしいなと思うときもある。でも僕に説教する権限はないです。優れたものこそ正しいという世界を、自分も好んで歩んできたのだから。