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監督というものは2種類しかない、と端的に語った監督がいた。解任された会見でのことだった。「私のように今日クビになった人間と、この先にクビになる人間と。その2つだけだ」。
現代に生きる監督はもっとつらい。システムに戦術、今の選手はいろんな知識を勉強して知っている。小中学生、僕の次男でさえ一丁前に戦術を語るくらい。それらの質問に答えを用意せねばならない。僕の少年時代、そんなやり取りをした覚えはないもの。
ジェノアでプレーしていた1995年、0-4でラツィオに負けた。遠征帰りの空港で当時の監督に「明日の練習は何時から?」と聞いたら、寂しげに答えた。「おれはもう監督じゃない」。主力選手がクラブに「この監督では無理だ」と訴え、会長が腰を上げたのだとか。ロマーリオは選手の身であまたの監督を代えさせた、ともささやかれる。
真偽の程は定かではない。ただ横浜FCのブラジル人監督、タバレスとそんな話をしたら「そういうもんだ」とうなずく。「でもな、カズ。監督はそんな扱いに慣れていくものだよ」。
日本代表のハリルホジッチ監督が任を解かれたけれど、選手が「あの監督ならやらない」など働きかけたとは僕は到底思えない。協会だって何とかハリルさんでうまくいってほしいと本心で思っていたはず。監督自身も選手も協会も、誰もが時間を費やし多大の犠牲も払ってきた。契約を切った側も、切られた側も、選手も苦しみでは同じ。誰か一人を責められるだろうか。
僕らは結果がすべて。でも矛盾するようだけど、結果なんてよく分からないものだ。サントス時代、リーグ戦へみっちり準備してきた開幕戦前日、監督が他のクラブへ去ってしまった。代役はフィジカルコーチ。それで開幕戦に4-0で勝った。あるチームでずっと不敗が続いた好調時に、監督が不思議そうに打ち明けたこともある。「なぜ勝てているんだろうね」。本人も思いもしない形で成果が出たり、考えを尽くしても結果は伴わなかったり。そう単純な因果関係じゃない。
監督を代えて良かった、いや続けさせるべきだった。どれも結果の出た後に語られることで、いまの時点で絶対の正解を持ち合わせる人などいない。明日のことなど、誰も分からない。だから僕ら選手、現場の監督は腹をくくる。状況がどうであれ、すべきことに100%の集中で臨む。分からない明日を、切りひらいていく。
そしてみんなで一緒に、ロシアで喜びたいですね。