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ワールドカップ(W杯)組み合わせ抽選会に「国際サッカー連盟(FIFA)レジェンド」として招かれ、モスクワへ飛んできた。
「インファンティノ会長、こちらはカズ。ブラジルで活躍した初めての日本人で、イタリアへも挑んだ開拓者なんだ」。そう紹介してくれたのは元ブラジル代表ロナウド。青年のころ、彼はサントスでの僕を見てくれている。フェノメノ(怪物)に敬意を払ってもらえて、身に余る光栄です。
前夜祭ではフォルラン(ウルグアイ)がブラン(フランス)らのいる自分のテーブルへ僕を呼んでくれた。「みんなに紹介したい人がいる。世界で一番、年を取った現役選手だ。信じられないぞ? 50歳だ。俺もセレッソで戦ったよ」。うん、僕がゴールして勝ったというのも付け加えたいね。
ジェノア時代の戦友と20数年ぶりに思いがけない再会も果たせた。52歳のブランとは朝方、ホテルのジムで鉢合わせ。ルーティンの筋トレを黙々こなす僕へ寄ってくる。「……お前、こんなきついことを毎日やってるのか?」。欧州の常識に照らしても、どうも僕はやり過ぎの域にあるみたい。
みんなW杯でプレーした人ばかり。でも僕は出ていない。あんなに戦ったはずが、なぜ自分はそこに立てなかったのか。悔しさと寂しさがよみがえり、こみあげる。でも、W杯には愛されなかった自分がこの場にいられるのも、日本が6大会連続出場を果たし、後に続く世代のみんながそうやってつないできてくれたからだと感謝の思いが湧く。
様々な敬意に授かれるのは、ブラジルや欧州で自分が必死にたどったストーリーに価値を認めてもらえたからだろう。それもサッカーのくれた「つながり」の大きさ。やってきたことはこうして確かにつながっていく。
今年も自分自身への期待を下回る、ふがいないシーズンに終わっている。チームは代わり映えのしない10位。自分のリーグ戦1得点452分出場も想像したものにはるかに届かない。
だからもう一度、僕は練習をへて強くなる。そして2月にまたチームと、このコラムへも戻ってきます。
37歳のロナウジーニョに日本でのプレーを勧めたら「いやあ、もう年だし。毎日練習するのも……」と口ごもる。何言ってるの、まだ若いよね。僕はまだまだ走っていたい。来年も一日一日を積み重ね、「つながり」を深く、広げていきたい。