BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2016年10月28日(金)掲載

“サッカー人として”
2016年10月28日(金)掲載

愛すべき「変人」の力

 日本代表だったある選手は、海外遠征へお菓子を携えていった。ワールドカップ(W杯)予選のときもスーツケースにはお菓子。いまだに一緒に遊びにいくとスナックを手放さない。彼はヒデこと中田英寿さん。


 あれだけ才能があり、セリエAで結果も出し、あんなにスタイリッシュでいて、あたかも主食=ポテトチップス。野菜は大嫌い、料理には溶けていてもにおいで分かるらしい。突き抜けているというか、変わっているよね。でもそこが人間味でもあり、魅力なんだ。


 サッカーのうまい人は大勢いる。でもその人の生活や内面をのぞいてみたいと、サッカーに関心の薄い人々にも思わせる選手は多くない。何を食べ、どんな車に乗って、どんな人と付き合っているんだろう……。ヒデはポテトチップスの何味が好きか、気になるでしょ。変人は魅惑的でもある。


 ヒデはどこでもヒデのペース、どこへいっても自分のスタイルを貫き通せる。変わっている人ならでは、「変態性の力」と僕は呼んでいます。それが海外でも成功した一因だったはず。


 チームというものは、そもそも全員が同質とはならない。プロの組織には年俸が1億と1千万の選手がいて、年齢が30歳と18歳の選手もいる。特異性が規律の乱れにならず、違いとして生きるのは、マネジメントのよしあしによると思う。


 プラティニを擁して1985年トヨタカップを優勝したユベントスの一員、カリコラが言っていた。「プラティニには色々と求めてはいけない。決まり決まったことを押しつければ、彼は彼でなくなる」。秩序は保ちながら自由を与え、突き抜けた独創性を潰さない。監督のトラパットーニにはそれができたのだと。


 マラドーナなんかイタリアのナポリ時代に一日だけ休みをもらうと、「帰る」と言い出して母国アルゼンチンへ向かう。わざわざチャーター便で。監督時代は会見でリンゴをかじり、今は出席した慈善試合で記者ともみ合い、殴ってしまう。よりによって平和を祈念し暴力反対をうたう催し物で。許されないことなんだけれども、愛されてしまう。


 「変だ」と目立つくらいの技術、才能。出させにくくする状況があるとしても、そこを突き抜ける変態がもっと出てこないとね。え? 僕ですか。自分では至って普通と思っています。