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先日の試合で開始早々、反則をしてしまった。僕がキックオフすると、すぐさま審判の笛がピー……。
7月(2016年)からルールが改定され、キックオフでボールを前方に限らずどの方向へ出してもよくなった。では、とすぐさまドリブルしたんだけど、それは違反らしい。把握が不十分で、恥ずかしい限り。
ルールなるものは変わるもので、イエローカードも昔は存在しなかった。ペレが1966年ワールドカップ(W杯)でひどいラフプレーをされ、欠場を余儀なくされたことなどから導入されていったと聞く。
僕がいた頃のブラジルは審判のジャッジも「攻撃的」で、ゴールへ向かう限りは、相手との接触で倒れても攻める側にFKをくれる印象だった。おのずと仕掛ける選手が増え、FWも攻撃的になる。それが敵味方ともに共通理解になっている。いい位置のFKが増えて結果的に盛り上がり、それも一つのブラジルサッカーの文化と思っていたね。Jリーグのブラジル選手がちょっと引っかけられるとオーバーアクションするのも、演技も文化という名残、癖なんです。
ジェノアとサンプドリアのダービーが1点差で決着した日。その1点はオフサイドギリギリの際どいゴールだった。ジェノアの街はその1プレーを巡って一晩中、議論が沸き立つ。パスが出た瞬間、守備ラインの映像を延々と流し、巻き戻し……。「ライン上だ」「いや、出ている」。入れられた側が最後に言い出すには「鼻が出ているぞ!」。
日本だと微妙な判定には「どうですかねえ」「審判の決めたことですから」と解説されたりする。あやふやにして、責任の追及は半ば。イタリアやブラジルは自分の見たものを信じ、それを基準に判定にも「誤りは誤り」とはっきり主張する。「警察なら泥棒はしない」とは彼らは考えない。それ以前に人間だから。
13日(2016年7月13日)にアルビレックス新潟が川崎フロンターレに敗れた一戦でオフサイドに見えなくもない得点があったのだけど、それを議論の種にした新聞もテレビも見当たらない。イタリアなら寝食も忘れて言い合っているよ。「我々、新潟は勝っていた。だって鼻が……」と。
表立って異を唱えれば審判を傷つけるという意見もあるだろう。でも黙っているだけではレフェリーが進歩しないし、人々のサッカーを見る目もいつまでも養われない。「審判ってのは、そのリーグのレベルと一緒なんだ」と言っていたのは加茂周さん。判定を語る水準が、すなわち僕らのレベルということだね。