©Hattrick
日本とフランスが悲劇で重なっているのを知っていますか。僕ら日本代表が1994年ワールドカップ(W杯)出場をドーハで逃した1993年秋、フランス代表もパリでの予選最終戦の最後の最後でブルガリアにゴールされて、W杯に進めなかった。次回W杯は自国開催であるのにもかかわらず。
その1994年W杯はイングランドも出られなかった。キック・アンド・ラッシュという大ざっぱなサッカーや、外国人監督など外のものを受け入れない気質を島国的と批判されていたころだ。サッカーの母国というプライドも邪魔をした。そこで考え直し、今に至る変化が始まったと聞く。
女子代表「なでしこジャパン」が、リオデジャネイロ五輪に出られなくなった。代表の雰囲気というものは当のチーム内だけで形成されるものじゃない。その外、ひいては国民全体に漂っているムードが伝染する。中にいる選手に油断はなかっただろう。でも取り巻く側が「当然、出られるだろう」と感じていたのは否めない。僕も含めて。
我々イングランドは母国なんだ、当然出られるだろう。王国ブラジル開催のW杯だからドイツが相手でも当然勝つだろう……。その「当然だろう」に隙はできる。そしていざ逆の現実になると「え、どうして」と立ちすくんでしまう。前回W杯準決勝(2014年大会)でホームのブラジルがドイツに1-7と惨敗した悲劇のように。W杯と五輪で優勝、準優勝、準優勝。だったらなでしこも予選は当然……というふうに、僕らサッカー界も国民も玉座にあぐらをかいてしまったのかもしれないね。
横浜FCに加入したスロベニア人DFがいる。「欧州と守備のやり方がだいぶ違う。日本に慣れないと」と言う。ん? 僕らはさんざん欧州の映像を見て、ラインのつくり方や押し上げ方をそっくりにしている。なのに「違う」って?
ある監督の下で長くやったコーチが手法やイズムを踏襲して同じように采配を振るったはずが、同じようにはいかないことがある。僕らも本物になれていないのか、やり通せていないのか。「当然だろう」が錯覚になり現実とのズレを招くように、分かったつもりの自分が分かり切れていない何かがある。その何かを僕は知りたい。