BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2015年11月20日(金)掲載

“サッカー人として”
2015年11月20日(金)掲載

「大丈夫」とやってみる

 17日(2015年11月17日)の日本代表対カンボジア戦は人工芝で行われ、「やりづらかった」という選手の反応を新聞で読んだ。そういった適応が問われる状況では、最高のピッチも劣悪なピッチも、いろいろ経験していることが有利になるんじゃないかな。


 思い返すとブラジル時代、ありとあらゆるグラウンドでサッカーをしてきた。田んぼみたいに足を取られる場所もあったし、5時間もかけて行ってみると、芝があるのは四隅だけ、中央は文字通りはげていたところも。「ここでやるの?」と面食らったものね。


 クロアチアでは雪上、というよりアイスバーンで紅白戦をした。そこでプレーするクロアチアの選手がまた、うまい。つまり、できる選手はどこでもできる。


 よくないピッチでやるのもサッカー。あの駆け出し時代は試合に出られず、「試合ができるなら、どこでだってやるよ。行く、行く」と前のめりだった。サッカーをできる喜びが勝っていた。やはりあの日々が自分のバックボーンだね。


 アスファルトでサッカーをすれば、地面が固い。だから危ない。でも子どもは適応力があって、固ければどうするか、そこで生き抜く手段を見いだしていく。「転んだら痛いな」と察し、自分で自分の身を守るすべを覚える。そんなブラジルのストリートサッカーが、昔より裕福になったことで少なくなったと聞く。だからいいFWが育たなくなったという議論もある。豊かさの皮肉というか、日本でも中高生年代の日本代表の関係者がぼやいていた。中東へ遠征するといつものプレーが全然できなくなったらしい。普段、へんてこにバウンドしない芝で慣れているから。


 最高の条件でプレーするのが理想。選手として上へ行けば行くほど、それはかなう。ゆくゆくはそこを目指すのだから「あえて劣悪なところでやる必要はない」と考える人もいるだろう。でもその「上」へは、理想でないものも経験しておかないと案外たどり着けないときが、ままあるね。


 真面目にいろいろ細かく敏感になるのは日本人のいいところでも、悪いところでもあるような。「アスファルトは足に負担が大きい」と聞けば、ちょっと走るだけで痛い気がしてくるとか。僕はといえば「まあ、大丈夫だろ」とゴーサインを出すタイプ。何事も取りかかるときに「よくないんじゃ……」と後ろ向きなのと「大丈夫だろ」と楽しんじゃうのでは、結果も違ってくる。


 子どもの頃、言われてね。「いい勉強机を買ってもらわないと、勉強できないというのか?」。静かな図書館なら集中できるし、はかどる。でもその気になればベッドの上でもどこでも勉強はできる。自分に与えられる条件って不備も不満もあるものだけど、「これでもできる」とやってみたら、どうでしょうか。