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トリノで冬のオリンピックが行われている。気になる種目の放送時間に合わせて家に帰るとか、深夜に目覚ましをかけて起きるとか、そこまでのマニアじゃない僕でも人並みの関心は持っている。
五輪で印象に残る選手を挙げたら、それこそ世代の違いが表れるのだろう。僕は9歳の時、1976年モントリオール五輪で見たルーマニアの体操選手、コマネチが鮮烈に焼き付いている。シドニーのQちゃん(高橋尚子選手)も、きらきら輝いていたよね。
サッカーの最高峰の舞台は五輪ではなくワールドカップ(W杯)。ただW杯がすべてではなく、日々の練習や試合にもスポットライトは当たるし、そこで得られる充足感もある。そうした日々の積み重ねの先にW杯がある感じ。
五輪のメダルを究極のゴールとするアスリートを気の毒に思うのは、その日々の積み重ねにはあまり光が当たらないことだ。五輪の前後に洪水のように取材されるけれど、普段はマイナー扱いされるからモチベーションの維持も大変だろう。4年に一度の五輪の、わずかな競技時間に照準を合わせ、すべてを凝縮して出さないといけないし。そのプレッシャーが選手を成長させるのだけれど。
子供のころから夢見たせっかくの舞台なんだから、選手には五輪を楽しんでほしい。ただ、選手にとって一番楽しいのは勝つことだから、楽しむには資格が要る、基本的にはね。思い詰めた選手に「ガンバレ」は酷というので「楽しんで」という励ましが定着したと思うけれど、楽しむのも実は簡単じゃない。
負けても「楽しかった」と言えるのは勝敗を超えた意義を見つけられた時で、これもなかなか難しい。ある意味、うまく開き直れるといいんだけど。初めてオリンピックに出た選手というのは多分、そういう精神状態にうまく持っていけないのだと思う。
とにかく今は横浜FCのキャンプ中でホテルに缶詰めでテレビを見る機会が多いから、トリノの日本選手をテレビに向かって必死に応援していますよ。