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西京極へ赴いた京都サンガ戦はベンチで見守るだけに終わって、悔しい。京都はサッカー人生の第二幕を踏み出せた、思い入れの強い場所。京都とそれに続く神戸での日々がなければ、いまの自分もあり得なかった。
1999年にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)を離れたときに「カズの時代は終わった」と言われた。クロアチアから夏にJリーグに戻り、初戦が西京極でのヴィッセル神戸戦。1万5千人の声援に包まれ、僕は頭と足で2点取った。翌日の新聞いわく「カズは死んでいなかった」。
ただし京都でも神戸でも成績には恵まれず、京都の1年半で24点決めたとはいえ、降格も味わっている。30歳を過ぎ、ヴェルディで頂点を味わえたときとは違うわけで、うまくいかないことの方が多かったね。
自分を切るクラブがあり、拾ってくれる人もいる。人と人のつながりや「情」を知るなかで、周りへ優しくできるようになったのもこの頃だろうか。サッカーに本当の意味での苦労はないのだけれど、苦労を教わることで人としての厚みは増していく。
日本一に慣れていたころ、下位の常連だった京都や神戸は一番行くべきでない場所に見えた。キャリアの終着点であるような。何も見えちゃいなかったんだね。実際に行ってみれば、そこには素晴らしい選手も人間もいる。それぞれの情熱で現実と向き合っている。京都や神戸で過ごしたことが、サッカーの景色を変えてくれた。
僕にはヴェルディや代表の印象が強くて、京都や神戸でプレーした姿がピンとこない人も多いだろう。でも華々しかったころ以上に、あの時代が人間としての自分を育んでいる。「ヴェルディのカズ」だけでとどまっていたら、こんなに続けられもしない。
「お帰りなさい」。神戸のホテルオークラでも、京都のクリーニング屋のかあさんも、15年近い月日が過ぎていないかのように迎えてくれる。小林旭さんのヒット曲、ご存じですか。「♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの 神戸じゃ渚と 名乗ったの 横浜(はま)の酒場に 戻ったその日から……昔の名前で 出ています」。僕の歩みそのまんまです。
よく歌ったもんなあ。「♪京都にいるときゃ キングと呼ばれたの~」。