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ロンドン五輪出場を目指しつつ、一つ先のリオデジャネイロ五輪も頭に入れる。そういうアスリートは少なかったと思う。でも2020年五輪が東京に来て、3年後を意識しつつ7年後も、と意を強くした日本の選手は多いんじゃないかな。
7年後、僕は53歳。マラソンか何かで出場、かもしれないね。可能性の面ではサッカーが一番だろうけど、他に夢を持つとすればマラソンかも……。100メートル走で五輪出場はどう転んでも無理だし。まあ結論から言えばもちろんマラソンも無理で、冗談ですけれど。
福島県など被災地にはポジティブに反応できぬ方々もいると聞く。僕らがのんびりと東京で暮らすいまも、大変な思いをされている方がいる。避難が続き、故郷の地も踏めず悲しみに沈む人がいる。原発の汚染水問題について「状況は制御されている」という言葉を複雑に受け止めた人々もいるだろう。7年後の祭典より、「今日を何とかしてほしい」という思いのはずだ。
東京五輪に向け日本が変わっていくなかで、五輪の効果が様々に生まれる過程で、もたらされるものが被災地へもつながってほしいと願う。日本が元気になり、余裕が生まれることで支援の力も強くなることを。
7年先にはっきりした目標ができ、そこへ向かう大きな力が生まれる。「でも、一日一日ですよね」とレスリングの吉田沙保里選手は僕に語った。アスリートに7年という月日は長い。目の前の大会にベストで臨み、乗り越えるのさえ大変だ。では遠い目標へのモチベーションを維持するにはどうすればいいか。毎日毎日努力するしかないんだね。いまはみんな高揚しているけど、この興奮を7年間維持していけるか。それは大会そのものを成功させるためにも言えることで。
今回は都知事を中心に、招致に心を砕いたみなさんの思いと熱意が他よりも強かったのだと思う。この成功の陰には前回の失敗がある。夢は、かなわないときも当然ある。でも思いや努力は報われるということだね。意欲あるところに何かは生まれる。思いの強いものが、勝つ。
だから思う。ワールドカップ(W杯)に出場したいと言ってはいても、僕には思いが足りなかったのだと。積み残した思い、目の前の次の試合に込めます。