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人間は忘れる。生きていくには忘れることが必要な場面だってあるだろう――。3月11日(2013年)、作家の伊集院静氏が新聞に書いていた。
日本人の9割は東日本大震災の被害を直接被っていない。僕もそうだ。そんな僕らが忘れてしまっては罰当たりな気がしていた。被害に遭っていないだけに、よけいに罪に似た意識を感じる。ただ、「忘れるな」と連呼するだけでは押しつけにならないかと伊集院氏は言う。むしろ忘れるのは認めたうえで、忘れない努力を考えていこうと。そうだよなと共感を覚える。
僕もそれなりに年を重ねたんだろうか。ベッドでゆっくりと眠りにつける、朝起きて温かいコーヒーを飲める。そんな瞬間に幸せを感じるようになってしまった。開けたカーテンから漏れる陽光のぬくもり。朝ご飯を口にできる喜び。これ、50代になったら「ああ、今日も花が奇麗だな」って感じるようになるのかね。
起きてサッカーをして、寝て、サッカーをする。このサイクルが幸せだとは20歳の頃は考えもしなかった。当たり前と思っていた。「3月11日」を経験した僕らは今、何でもなさそうな事々のありがたみが分かる。
先日。早めにベッドに入りテレビをつけた。それがいつの間にか夜中の12時に。野球の日本対台湾戦、互いに譲らぬ攻防にどんどん引き込まれてしまって。
4回二死一、三塁、ショートにゴロを打った中田翔選手(日本ハム)が一塁ベースへ頭から突っ込んだ。4回なのにプロ野球のトップ選手がヘッドスライディングだなんて、レギュラーシーズンでは見たことないよ。それだけ一球、ワンプレーの重みが違ったんだ。
結果は憤死。だけどあの回以降、台湾の投手は中田選手が背負ったのと同じ重みを抱えてマウンドへ登ることになったのだろう。両チームにも緊張を生み、見る方にも重々しさを伝え……。人生を変える一瞬、人生を動かす一試合を境に日本代表の見られ方は変わった。山本浩二監督は頼もしき司令官。全員が輝いてみえる。
2年前の3月11日から僕らの感覚は変わったはずだ。明日何が起こるか分からない。終わりが突然訪れるかもしれない。それでも、だからこそ、一瞬一瞬を懸命に生きることを忘れたくない。