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日本では卒業や異動といった、旅立ちや別れの季節みたいだね。プロのサッカー界、特に海外だと「別れ」はあっさりとしているよ。
退団選手のあいさつや節目での解団式はあまりない。オリベイレンセのブラジル人選手たちは今シーズンが終わる5月28日の数日後には帰国すべく、ブラジル行きのフライトを押さえている。契約が続けば帰ってくる。続かなければ、そのままお別れ。
僕が明日、クラブを去ることになったとしても、いつもと同じような一日が過ぎていくことだろう。おのおのが心の中でシャッターを切って、次の挑戦の場所へと旅立っていく。
一人前になって卒業していく人もいれば、一人前になるために出て行く人もいるだろう。僕の場合、一人前になれたと思えたのは1988年、ブラジルで戦っていた21歳の年だった。
その年、キンゼ・デ・ジャウーへ移籍し、トップレベルのサンパウロ州1部リーグで30試合、年間で初めて40試合以上に出場した。ブラジル代表となるライー、ミューレルらと並んでベストイレブンに選ばれ、権威ある雑誌で左ウイングの第3位に選出された。ひとつ山を越えた達成感があった。
あれはプロ3年目。その年初、日本へ一時帰国する際の車中でマネジャーに覚悟を打ち明けたのを今でも覚えている。「今年成果を残せなかったら、プロとして食っていくのは厳しいと思う」
人生の分かれ目だったと後々思い返すようなときが、誰にでも訪れるのだろう。そこを乗り越える秘訣なんて、分からない。勝負の年だった1988年の前と後で、僕が何か生き方を変えたわけでもない。あの年に至る手前を振り返れば、サントスでプロ契約したもののうまくいかず、酷評され、紅白戦も出られない時期があった。そこから3部、4部に相当する地方のクラブへ転身し、歩み直している。
サントスにとどまることもできたけれど、それよりも試合に出てやり直す道を選んだ。先々のクラブで「残ってほしい」と請われるだけの結果を残し、自信を取り戻し、勝負できるという手応えをつかんだ。乗り越えるための助走となるプロセスだったのだと思う。
自分の道はつながるのだと信じ、努力する。コツコツと歩むぐらいしか、思い当たるコツはない。でもその過程で僕らは気付かぬうちに色々と学んでいく。分かれ目を越えさせる力があるとしたら、そうした一連のつながりがもたらすものだと思うし、だからこそ目の前の今を大切にしたい。
山口百恵さんの「さよならの向う側」を聞きながら、かつての旅立ちに思いをはせてみます。