BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2020年02月28日(金)掲載

“サッカー人として”
2020年02月28日(金)掲載

20代の自分とケンカしながら

 人間って、自分を実年齢より若く感じているものだと思う。こうして53歳になった僕も、53歳という実感は薄い。サッカー選手の場合、「倍方式」を当てはめると年齢をイメージしやすい。


 18歳の選手はいうなれば36歳のサラリーマン。経験を積み体も動き、企業を支える40-50代は、サッカー界でいえば25歳くらいの主軸にあたる。30歳の現役となると会社では60歳相当、急に年寄り扱いされて引退もちらつく。もちろん優秀な選手は35歳でも、会社でいう定年間際まで頑張れる。その年代でクラブの要職に転身するのも年相応だろう。40歳の選手ともなると「80歳」。バリバリの現役はさすがに少なくなっていく。


 これでいくと僕は、106歳のサラリーマンが営業回りをしているようなものだね。「あの人、今日も元気だね。毎朝よく来て」なんて言われて。営業成績は少し落ちてきたけれど、出先でなぜだか喜ばれて。


 好きだから、寿命も長くなる。画家が参考になるね。「こう描いてみたい」「あの女性を絵にしたい」。想像は尽きず、脳も生き生き、衰え知らず。かのピカソもそうやっておびただしい数の作品を描き続けた。


 イニエスタのような名手と戦えて、大好きな街・神戸で、J1で迎える開幕だったのに、絡めなかったのはもう無念でしかない。2月上旬にケガを抱える直前の8日間ほどは、50代という年齢も忘れることができた。体が自然と動き、脳と体はリンクし、調子が良すぎたくらい。思えば、その時期こそ注意深く乗り越えるべきだったのかもしれない。


 「練習は裏切らない」とはその通りだけれど、50代となると練習に裏切られもする。そんなときは、年齢なるものが頭をもたげてくる。そして50代の僕が20代の僕とケンカを始めるんだ。


 「53歳だぞ、昔と同じようにやり過ぎたらダメに決まってるだろ? やめろ」「いや、俺はそうやっていつも乗り越えてきた。大丈夫、もっとやるんだよ」。


 いずれにせよ、道は自分で切り開いていくしかないんだよね。そこで下を向くのか、「よし、またああいうプレーをするぞ」と踏み出せるのかで、未来も変わってくる。


 あんなプレーをしたい。次はこうしたい。欲は尽きないし、でなければやっていけません。僕の場合、そうやってすべてを欲しがってギラつくものだから、年齢が分かりづらくなるのかもね。