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ボルト選手はリオデジャネイロ五輪の陸上100メートルでスタートしてから次々と考えを巡らせたという。「足が重い。死んでいるようだ」「いや、いけるな」「このまま維持すれば絶対抜ける」。“このまま”といっても、それほど9秒間は長くないはずなんだけど。
辛抱強く100メートルを走りきる、のだという。2時間かかるマラソンで「辛抱強く」ならまだしも、わずか9秒のどこでどう我慢するんだろうと僕などは思ってしまう。あの世界で鍛錬した人だけが感知できる9秒間の流れ、ドラマがあるんだね。
考えてみると僕もセレッソ大阪戦でのゴールシーンで似たことをしている。1秒もかからぬ瞬間に、頭が3つほど選択肢を浮かべて処理している。「打つか?」「ん、違う」「少し外へ持ち出すか」。体は答えを選び取って、シュートしている。
卓球になると速すぎて、僕の目は追い付かない。まばたきの間に展開される判断と技の物語。年がら年中訓練した末に体に染み込ませた、一つの芸術だよね。
シドニー五輪に出場した競泳の田中雅美さんに尋ねたことがある。一時期は低迷した日本が右肩上がりになれたのはなぜかと。「北島康介選手が五輪で勝ったことで、自分もできると周りが思えたことが大きかった」という。魔物に例えられるプレッシャーも、「できる」というエネルギーも、どちらも自分が心のなかで作り上げているもの。それほどにメンタルが動かすものが大きいんだ。
メダル獲得はなぜか連鎖するもので、メダルを一度も取れなかった卓球男子が、1つ取ると団体でもメダルに輝く。もちろん積み上げあってのものだけど、1つのメダル、優勝という結果で歴史は急に回り出す。
サッカー日本代表もそうだった。その昔はアジアで勝てず、1990年アジア大会では「まあ日本も、なかなかやるね」とあしらわれるありさま。それが1992年ダイナスティカップで優勝するとアジアで結果が出始める。2、3年でグンと一変して。
今回のサッカー五輪代表は、アジアで勝ち始める前の僕らと似てもいる。ナイジェリアに惜しい試合をして、コロンビア戦も内容は良かった。「強敵をギリギリまで追い詰めた」「惜しい」。25年前の僕らもそうだったんだ。ただ、そこにとどまる限り歴史は動き出してくれなかった。
代表というものは残した結果でしか認知されなかったな、その宿命はプロの世界、今の自分も同じだよな――。リオの熱気にそんなことを考えています。